2010年10月22日金曜日

ハロウィーンが近づいてきている

あと1週間でハロウィーン.しかし,不況のアメリカは例年のもりあがりは見せてないように思えます.ところどころで大きいカボチャを飾る家,窓に黒猫を飾るお家,いろいろですが,どうも,ぱっとしない,というか、全然飾っていない家がいつもよりずっと多いのですよ.

仕事を失ったりして,ハロウィーンどころではない,という人は決して少なくありません.必要な出費以外は避けよう,という気持ちが働くのでしょうね.

でも,よく考えてみると、それでなくても子供の肥満が騒がれているこの国.その子供たちに甘いチョコレート,キャンディー,ガムなどを与えることが良いことか,とそちらの方から考えてみると,逆に子供たちのためなのかも.「ハロウィーンくらいいいじゃない」「せっかくのハロウィーンなのだから」と言う声も聞こえてきますが,ハロウィーンしかお菓子を食べていないのならまだしも,普段から脂っこい食事をして運動をしないから肥満になるわけですよね.それに糖尿病も子供たちの健康を脅かしている今,チョコレートなどのお菓子よりも,フルーツ,鉛筆,ソックスなどをあげよう,という動きもあるようですが,前にも書いたように不況のためにそれはできない...となると,ハロウィーンももしかしたらにぎやかにお祭りのように騒ぐのはテレビの中だけ,なのかもしれません



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2010年2月2日火曜日

情報多すぎ

今日,アップルストアでone to oneと言うレッスンを受けてきました.1時間,わからないことなど説明を受けられるシステムで(日本でもあるのかな?)いろいろ勉強してきました.もちろん,係の人たちも何でも知っているわけではないので,私のへんてこな質問をグーグルで調べているのですが,とにかくたくさんの情報がありすぎて選別するのは実際に大変だよね,と言う話になりました.

どこまで信頼できるサイトなのか,情報ばかりあるけれど,正しいのかなど,ちょっと疑ってかからないと,誰がかいているかわからないのであとでかえってわからないことが増えたりします.

今は,グーグルだけではなくてニュースも同じこと.新しいニュースを伝えなくてはならない,と言う義務感からか,次から次へと違うことを伝えようとして来ます.もしかしたら知らなくても日常の生活に全然影響しないのではないかしら,と言うニュースもたくさん.それに受け取り方によっては誤解を受けたり,判断をまちがえたりするようなニュースも少なくないので,ニュースも情報も多ければよい,と言うのではない,と実感する今日この頃.しかし,しっかりフィルターをかけられるほどの知識は自分にはないし... どう受け止めてよいのかわからない情報が垂れ流しがされているようで,これはよいことなのか,悪いことなのか...

2009年12月3日木曜日

ウィンカーを出すのは回りの人のため

どうも、最近ウィンカーを出すのを忘れているのか、面倒くさくて出さないのか、電球が切れるのがこわくてつけないのか、曲がるのにウィンカーがでていない車が多くても困ります.急に前の車がブレーキを踏むから何かと思うとその先で曲がっていく.スーパーの駐車場でも、ウィンカーがでていないからまっすぐいくのだろうと思ってこちらも発進すると急にすぐそこのあいている場所に車を入れようとしてくる.危なくてしかたがない.

自分がウィンカーを出すのも,出さないのも自分の勝手なんて発想がどうもまかり通っているような気がしてなりません.

通行人が自分がいきたい方向にすぐに方向転換するのならまだ、「ごめんなさい」くらいですむだろうけれど、車がゴッツンしてしまったらそうはいきません.警察を呼んで、保険会社に電話して、被害を見に来てもらって保険屋さんが折衝に走り、本当に大変.ひどい時には車を修理に出せるのに1ヶ月くらいかかる.しかもそれがクリスマスとかイースターなどの休みにかかったらもっと時間がかかるかも...

何のためにウィンカーを出すのか、運転免許のテストの時に理由を書かせてみるといいかも.自分の考えを書かせたらけっこう変な答えが出て来ておもしろいかも.

2009年11月30日月曜日

友だちを選ぶ

主人は仕事に疲れると人生相談をよむ趣味があります.昨日こんな相談がのっていることを教えてくれました.

たしか、その人は「自分の友だちが人のうわさ話、悪口ばかり言う人たちでつきあっていると疲れるから一緒にいたくない.自分で趣味のガーデニングをしていた方がずっといいけれど、そうすると友だちが一人もいなくなりそうでこわい」と相談していたように記憶しています.

価値観が合わない人を友だちに持つことほど不幸なことはないと言うのが私の持論です.自分が持っている価値観を曲げてまでつきあいたいとはあまり思わないだろうと思うし、つきあわなくてはならないのであれば多分ストレスがたまるでしょう.でも人間は一人で生きていけませんから、友だちをなくすことは本当にこわいことです.しかしそこで、逆に考えてみると、ここで言えば人のうわさ話、悪口を言う人たちとおつきあいをしていたらまわりの人たちからはこの人もそういう考えを持っている同類と思われますよね.そうしたら実際に自分がお友だちとしてつきあいたい人たちが避けて離れていっているかもしれないんですよ.自分で自分を誤解させている.ここは思い切って一人になってしまった方がまた新しいお友達に巡り会う機会も増えるだろうし、まわりの他の人たちがこの人を見る目が変わるのにと私は思いました.勇気がいることですが、長い目でみたらその方が自分に正直になれてハッピーに毎日を送れるのではないかしら?

長い間アメリカに住んでいると一人でいることがだんだん平気になります.なぜかとてもいそがしいアメリカ人たちなのでそうそう長々とランチやらお茶をする機会はあまりありません.自分でいかに自分の時間を有効に使うか、それがひどく得意になったように思います.逆に人付き合いが面倒くさくなっているかも、とときどき心配にもなりますが...「過ぎたるは及ばざるがごとし」ですね

2009年11月29日日曜日

情報は上手に利用しないと...

日本に行った時に見た番組で、大学生の中にウィキペディアは誰でも書き込めるサイトであることを知らない学生がかなり多くいることを知ってびっくり驚き.あそこに書きこまれている情報を鵜呑みにしているとしたらそれは大変.書いている人の身元も何も知らないのですから,書かれていることにどこまでの信憑性があるかは疑問です.もちろん専門家の方も書かれているだろうし、良心的にきちんと調べた結果書き込んでいられる方も多くいられると思いますが、そうではない方の数だって少なくないはずですから、自分が受け入れる情報のフィルターは自分でかけなくてはなりません.

最近はグーグルやらask.com やらわからない時に使えるサイトが増えています.増えるのはよいことですが、自分で調べるくせがどんどん退化しているようでこわいです.脳の中で使わない機能は眠ってしまうのではないか、衰えてしまうのではないか、そんな恐れが私の中にはあります.だからできるだけ自分で調べる、しかしどうやって調べるか...オンラインに行ったのでは自分で調べていると言えるのでしょうか? プロがいるヘルプデスクに書き込むことがよいのか、本をよんで調べるのがよいのか...悩みます.時間がかかるけれど長期的には近道をしない方が自分のためなのかも.

先日こんな事がありました.私はMac Book を使っています.Snow Leopard にアップデートした時にそれまで使えていたグーグルビデオチャットが突然できなくなり大慌て.日本語と英語をチャットしながら教えている私にはとても大切な道具ですから.結局グーグルがマックの新しいOSに対処できなかったためにSafariではチャットができないこと.Firefox を別にダウンロードすることがわかり、ことなきを得ましたが、その前に日本のグーグルのチャットルームに行って事態を説明したのですよ.

「どうしてビデオチャットができなくなったか誰かわかる人がいませんか?」と.しかしもどって来た返事は、

「Snow Leopard はカタカナで書かない方がよいと思います.パソコンの環境のバージョンは何か教えてください」でした.

とにかく急いでいた私は、つい面倒くさくてカタカナ書きをしてしまったのですがそれが気にさわったのでしょう、でも、それは事態とはまったく関係ないこと.しかもSnow Leopard が出たばかりでアップデートした、と書き込んだのですからバージョンは一目瞭然のはず.ひどく時間を無駄にしたような気がしてぐったりしてしまいました.

これだけ膨大な量の情報があふれている現代、いかに上手に、そして手早く正確な情報をキャッチするのはとても時間とエネルギーがいるのではないか、と感じる今日この頃です.それなら自分で勉強した方が確実で後々のためにもよいかも.

お年賀状

「お年賀状は面倒くさいからお互いやめにしましょう」こんな会話を電車の中で耳にしました.そうね、お年賀状は確かに面倒くさいかも.特に頻繁に会っているお友だちにわざわざ書くなんて、と言う意見はわからないでもない.でも、年の暮れ、と言う1年に1度しか回ってこないこの時期.それに人生75年とすると75回.それも自分で自分の生活に責任を持ち始めてからだと約50回くらいしかこの時期は回ってこないのですよ.そう考えると1回1回を大切にしたい、と思いません?

年賀状と言ったって別に何をするわけじゃない.場合によってはその年の干支の印刷をたのんだり、もしくはプリンターでプリントアウトしたり、そうでなければスタンプ押したり、これと言って重労働ではないですよ.一言を考えるのが面倒くさいかもしれないけれど、これだってその辺の雑誌を広げたりインターネットに行けば一覧があるはず.それだけの作業を面倒くさいと言ったら面倒くさくないものはいったい何なの? と質問をしたくなります.

やはり、生活にメリハリを付けるのは大切.もう一度自分の生活、それから相手の人たちとのおつきあいを見直すためにもお年賀状、がんばって書きましょうよ.私たちはクリスマスカードを書きます.その人の表情を浮かべながらどうしているだろうと遠方の友人へ、そしてついこの間会った人にも「元気でね」と言う言葉を添えて.人間、当たり前のように生きていますが何があるかわからないのが現実なのですもの.さ、思い立ったが吉日.住所録の整理でも郵便局へ行くことでもかまいません.行動しましょうよ

2009年10月22日木曜日

ハロウィーン

もうすぐハロウィーン.家のまわりは不況風がふいているのか例年ほどの飾り付けは見られません.子どもたちも決して少なくない住宅地なのに...

子どもたちが仮装してお菓子を集めて歩く姿はとてもかわいらしい.でも、子どもたちだけでは暗い所は歩かせられないし、ということで親たちが車でついて歩く姿もめずらしくないし、明るいうちにやってくる子どもたちもいる,お菓子もラップが少しでもずれていたら食べないとか、何だか犯罪が増えるとともに皆が用心しなくてはならない時代になってしまいそれが悲しい.

でも、私はハロウィーンにはひどく疑問を感じている.日本でも何だか盛んになっているようだけれど.ハロウィーンのカボチャ,魔女、黒猫たちは確かにかわいいけれど、どうしてすぐにアメリカがやっているものに日本は飛びつくのかしら? その前にもう少し自分たちが持っているものを大切にすれば良いのに...

それはそれとして、アメリカでは肥満、糖尿病が国民に蔓延している.小さい子どもたちだって同じこと.普段はお菓子を控えているからハロウィーンの時だけ特別ね、ならよいけれど、あまいものの食べ過ぎ、運動をしない子どもたちにさらにその病気を悪化させるようなものをあげることにはひどく抵抗があるの.それなら鉛筆とかリンゴをあげよう、と思うけれど、子どもたちは全然喜ばないし、それなら何もしない方が良いのかもしれない、とも考え込んでしまう.

ピンポーンというドアの向こうにいる子どもたちがすごく太っているとしたらお菓子をあげること、ためらわない? ハロウィーンという形だけを見ていたら楽しそうでかわいらしいかもしれないけれど、それだけじゃかたづけられないのよ