2009年10月15日木曜日

近所の店を大切に

最近はオンラインショッピングやら大型ディスカウント店などで買い物をする機会がどんどん増えている.価格も手頃だし、便利だし、ということでついそういう店を利用してしまうかもしれないけれど、ちょっとそこで考えて.

その手の店が氾濫するということは小売店、ご近所でよく買い物をしていた小さいお店がどんどん閉じていくということ.「だって、あそこの店高いんだもの」「種類がないんだもの」まぁ、いろいろ理由はあるだろうけれど、小さな店の価格が高いのは当たり前.種類だって在庫を抱える限度があるから種類が豊富ではないのは仕方がない.でもね、本やさんで立ち読みができなくなったら寂しくない? 本の内容をパラパラ見られなくなったらつまらないでしょ? 

私は本屋さんのあの雰囲気が好きだから、絶対になくなってほしくない.だからオンラインで買うことの方がどちらかと言うと多いけれど、近所の本屋さんでも買うようにしている.地元のCD屋さんでがんばっているのを見ると、応援したくなる.「安い」が必ずしもよいわけではないのよね.買い物がオンラインだけになってしまったらひどく味気ないものになりそう.さわったりお店の人と面と向かっておしゃべりができなくなるんだもん.これは便利さが生んだ弊害の一つだと思う.この不景気の中、少しでも節約しなくてはならない生活だけれど、心のゆとりと言うか暖かさを与えてくれるご近所の店をぜひ大切にしましょうよ

2009年10月14日水曜日

原因があるから結果がある

最近、私たちはまわりにおきている事態を見て「かわいそう」「気の毒に」「どうしてだれも何もしないのか」なんていう報道をよく見かける.しかも何もしない方がまるで悪の権化のような言い方で.確かに気の毒でかわいそうな場合も多々あるのは事実.しかし、どうしてその人たちがそうなったのかについてはあまり誰にも伝えられなくない? どうかな?

ちょっと前に日本で問題になった(今でも問題かな?)ニートの人たちの職がなくなってしまった話.職がなくなり住む場所、食べるものに事欠くようになってしまい炊き出しの人たちとかが出たとか、政府は何をしているのか、という怒りの声とかニュースで流れたのをオンラインで読んだけれど、そこでふと思った.対症療法は確かにその人たち救済のために必要かもしれないけれど、その人たちがそう言うことになってしまった原因についてはあまり触れられていない.

「かわいそう」「気の毒に」と思う気持ちはもちろん大切.人間である限り忘れてはいけない感情.しかし、それだけではダメだと思う.「なぜそう言う結果を招いたのか」をあらゆる角度から考えなくては片手落ち.ニートを選んだのはだれかな? ニートをすることを誰かが強いたのかな? そのとき家族はどうした? ニートを雇った側は景気が悪くなった時にはニートから首を切られることをきちんと説明したか?(本当は、私はここは書きたくなかった.というのは、景気が悪くなる可能性があることも、そう言う時に解雇されるのは正社員でないことくらい知識として持っていないことが信じられないから)

何にでも原因と結果がある.結果ばかり見て騒ぎ立てたら同じような結果が次から次へと表れる.こんなことだれだってわかっていると思うけれどどうもわかっていない人たちが増えているみたいだからあえて書きました

2009年10月13日火曜日

うわさ話は大嫌い

暇な人が多いな、とよく思うのは集まっては人の「うわさ話」をしている方達を見る時です.しかもだいたい「悪口」が多い.「○○さんがどうだ」「××さんの家でこんな事があった」まぁ、よくもつきることなく同じようなことをくり返しくり返し話せるものだと感心しごく.

要するに時間がを持て余している証拠? そんなことない? 気晴らし? 家事、子育て、仕事に毎日追われているからその気分転換が「うわさ話」.そうなのかなぁ.まぁ、そうおっしゃるのならそれはそれよいですが... 本当にそんなに分刻みの生活をしているのですか? 

私が「うわさ話」が嫌いのなのは無責任な会話の集まりだから.根も葉もない場合もあるだろうし、尾ひれがついていることも.さらには思い込みの言葉などなど... 情報交換という面では必要な時ももちろんあるけれど、どこまで信頼できる情報なのか...それを見極めることができますか? 「誰々さんがいったから」「誰々さんに聞いたから」こんな枕詞がついていることの方が多いようにお見受けしますが... 

人間集まるとうわさ話になるのですかね.アメリカ人だって大好きですよ.ただ、忙しく働いている人たちは本当にその時間がない.その時間のなさと言ったら凄まじいですよ.パソコン、ブラックベリー(携帯兼パソコンのような電話です)を使いこなし夜中まで仕事をしているのですからね.そういう人たちを見ていると「忙しくて〜」と言いながらうわさ話をしている人たちが信じられなくなる...

2009年10月12日月曜日

将来につながる愚痴にしてください

まわりにいません? 愚痴ってばかりの人とか、文句ばかりの人、悩み事ばかりの人、いつまで立ったも同じようなことのくり返し.最初は気の毒に思ったり、大変ね、と同情して一生懸命相談にものるしアドバイスもできたら、と思うけれど、こちらが言っていることを聞いているのか聞いていないのか、次回あう時もまた同じような悩み事のくり返し.この間私が考えに考えて話した言葉はいったいどこにいってしまったのやら..

これが2回、3回と続くと「もしかしたらこの人悩むことが趣味なのでは?」「誰かにかわいそうね、と言ってもらいたいだけ?」とつい言いたくなる...いけない,いけない,この人だってつらいんだ.と思ってイライラしてくる気持ちを抑えて話を聞いてまた「こうしたら良いんじゃない?」「こういう方法もあるわよ」と言ってみるけれど、だんだん真摯さがなくなっていく自分に気がつく...だって,どうせ私が何か言ったって聞いていないのか、忘れてしまうのか、また同じことを次の時のもひたすら聞くはめになるんだもんね、と開き直り状態.

もし、自分で悩むのが好きな人、どうぞ他の人を巻き込まないで.つらいこと、悲しいことがあって相談する時にはぜひ、もらったアドバイスを行動に移してみるとか、せめて今の事態が少しは前進するような努力をすることをお願いします.自分では気がつかないかもしれないけれど、結構こういう人多いんです.というより本当に悩んでいる人はつらすぎて人に言えないのではないのかな...

「自分」に溺れている人たち

最近のニュースを読んだり見たりする時に気になることがたくさんあります.それは非常にたくさんの人が

「自分」「自分の権利」「自分は正しい」という観点からものを見ていること.他の人の意見を聞こうとするようで実は全然聞いていない.自分が聞きたいことだけを選んで聞いているからいつの間にか自分のまわりは「自分が聞いていて心地よい」人たちで固められている.こんな風潮がいつの間にか始まっている.

人の意見を聞けなくなったら人間としての進歩は止まってしまう、というのが私の考え.たとえ異なる意見でもとりあえず耳を傾けてみると「なるほど」と思う所もたくさんあるはず.それを最初からシャットアウトしてしまうのでは「自分」の幅は広がらず成長できません.

しかも自分と違う意見を聞かないどころかまるでその人が悪い人かのように悪口を言う人たちまであらわれたりしてね.とにかく他の人の意見に耳を傾けましょう.耳を傾ける、ということはその人たちの言いなりになることではないですよ.とりあえず意見を自分の中に取り入れてそこで考える.考えてみて「なるほど、こういう考え方もあったのね」と受け止める.そこが始まり.

特に自分が「悲劇のヒロイン、ヒーロー」になっている人にこの傾向が多い.自分が聞きたいことだけを聞くものだから、だんだんまわりも面倒くさくなって同じことしか言わなかったり、離れていったり.だから残るのは「烏合の衆」です.

自分のまわり、もう一度見回してみてください


いろいろブログを試したけれど、結局このブロガーが一番使いやすく,見やすいということでここに落ち着きました.