2009年10月20日火曜日

経験していないことはわからない

私の友人にお裁縫がとても上手な人がいる.ハロウィーンパーティーの時など彼女の腕の見せ所.去年は会社のコスチュームパーティーで優勝し、100ドルを獲得したと言う実力(?)の持ち主.それ以来、彼女の所には会社の上司たちから

「子どもが劇に出るのだけれどこういう衣装が必要なの.縫ってくれない?」
「こんなものが必要なのだけれど、作ってくれないかな?」と聞かれることたびたびだそうなの.まぁ、材料費やらとりあえず少しのお礼はいただけるらしいけれど、それでもいそがしい彼女にはかなりの負担になっているのは事実.しかし上司に頼まれるとすげなく断れない彼女.(アメリカ人でもこういう人少なくありませんよ.いやなものはイヤ、とはっきり言う印象があるけれど、やはり上司だとそうはいかないのが事実なんでしょう)

今回も上司の子どもの学校でのハロウィーンパーティーのための衣装を頼まれて頭を痛めている彼女.カソリックの学校に通う子どもは聖書に出てくる人物にならなくてはならない、ということで「ノアの方舟」の「ノア」になるらしいけれど、ひげと杖と白い洋服だけではだれだかわからないので、どうしたら「ノア」になれるか...と考え中.

縫い物をしない人は簡単に頼むけれど、実際に縫ったことがある人たちはそう簡単に人には頼まない.それは縫うことが結構大変なこととわかっているから.

スポーツ選手たちだって私たちが見ている姿は晴れ舞台だけ.その裏で彼らがどれくらいのトレーニングをこなして来ているかはほとんど垣間みることがないからどんなに苦しいトレーニングを重ねているかはわからないのよね.もし、実際に少しでもその苦しさを経験することができたら、自分勝手に人のことを批評する人たちが少しでも減るかも.

自分がやったこともないことをあたかも簡単なことのように評価したり判断することは慎むようにしたいものです

0 件のコメント:

コメントを投稿